僕が歩いた街 ― オスロ

旅行記

ノルウェー王国の首都にして、同国最大の都市。
人口は約60万人。決して大きな都市とは言えず、際立った観光資源もない。

現代における交通の要衝でもなく、 ノーベル平和賞に興味があるという特殊な人でなければ訪れる動機もなかなか見当たらない、しかしながら北欧を代表する都市。歩いてみるとこれがまた、なかなか面白い街でもある。

オスロは1000年近い歴史を有している。1624年に大火が起こり、市街地は現在の場所に築かれたという。その際、都市の名前は復興を指揮したクリスチャン4世に因み、クリスチャニアと改名された。オスロという名に戻るのは20世紀、スウェーデンとの同君連合から完全独立した後の1925年である。

オスロ・フィヨルドの最北部に位置し、三方を山に囲まれている。デンマークの首都、コペンハーゲンからオスロ・フィヨルドを船で北上して、僕はオスロに到着した。

ちなみに、オスロ・フィヨルドはフィヨルドという名がついているものの、地質学上のフィヨルドではない。なぜこのような名称になったか、今日では確かなことはわからないらしい。

オスロの名所の一つ、ムンク美術館。同国出身で、同市で没した画家エドヴァルド・ムンクの作品や生涯についての資料を展示する美術館だ。

多くの人にとって、ムンクの作品と言えば『叫び』であるだろうし、またそれ以外の作品を挙げられる人は決して多くないだろう。僕自身、『叫び』以外のムンク作品を知らなかった。

この時はオランダのゴッホ美術館と共同で、ムンク・ゴッホ特別展が開催されていた。日本人にとってゴッホとムンクは全く別の画家であり、ムンクは『叫び』以外の作品は知られていないにもかかわらず、ゴッホは『ひまわり』『タンギー爺さん』あるいは画家自身の『自画像』など、多くの作品が知られている。日本人は実にゴッホが好きなのである。

ここ欧州ではムンクとゴッホを混同する人が少なくないのだとか。そこで、二人の大家の作品を並べることで、その類似性と独自性を明らかにするという趣旨の企画展だ。

ゴッホとムンクの共通点は、若くして芸術の中心地、パリに移ったことである。彼らは当時の最先端芸術を見て、学び、真似て、徐々に独自の画風を確立していく。その過程は印象派成立をなぞるかのようであり、また高い類似性も見えてくる。

彼らは実際にパリで会うことはなかった。ところが、彼らは同じ画風を真似し、同じ画風のスケッチを残している。いつかしかそれぞれが独自性を発揮し、今日われわれが認識する「ゴッホの絵」と「ムンクの絵」がそこに現れる。

ムンクについて、さらに彼の絵に触れようと思うならば市内の国立美術館も欠かせない。

市中心部には、国王の住居である王宮もある。1849年に完成したこの王宮では、毎日13時30分に衛兵の交代式を見ることができる。内部は夏季限定のガイドツアーのみ入ることができるそうだ。

おそらく、オスロで一番有名な建物はオスロ市庁舎ではないだろうか。ノーベル平和賞の授賞式会場でもある。第二次世界大戦前から建設が始まり、戦争により一時中断されたものの、1950年に完成した。歴史的と表現するには少々新しい建物だ。

古ければよいというわけではないが、ノーベル平和賞の授賞式会場という付加価値がなければ、通り過ぎてしまうであろう建物である。オスロの象徴として、それなりにオスロらしいとも言えるだろう。

ノーベル平和賞については様々な議論がある。たしかに政治的に過ぎる側面は多く、議論を呼んだ受賞は少なくない。そんなノーベル平和賞の歴史を学べる博物館も、オスロ名物であろう。無理に行く必要はないが、これもまた極めてオスロらしい場所である。

北欧の歴史を見たとき、ヴァイキングの存在は極めて大きい。彼らは現代を生きる北欧人たちの誇りであるのか、あるいは恥ずべき蛮行を犯した愚かな先祖なのか、これもまた様々な議論があると聞く。その評価は分かれても、ヴァイキングが北欧の歴史で重要な役割を果たしたことは否定はできない。

オスロには、その名も「ヴァイキング船博物館」なるものも存在する。

古代のヴァイキング船や、同時に発掘されたものが展示されている。展示されている船は3隻、いずれも19世紀後半から20前半にかけて発掘された、1000年近く前の船である。

クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を”発見”するはるか以前に、北欧人の祖先は彼の地に到達していた、そうである。10世紀、ヴァイキングはグリーンランドを植民地化していたが、そのためにさらに西にわたり、現アメリカ大陸で木材を伐採するなどしていたと考えられている。グリーンランド植民地の開拓のための資材調達が目的であり、アメリカ大陸そのものを開拓したという証拠は出ていないとか。

“グリーン”ランドなどという名称にもかかわらず、わざわざ海を越えて木材を調達していたとは、皮肉である。これは赤毛のエイリークというアイスランドのヴァイキングがグリーンランドを発見し、付けた名称である。由来は諸説あるが、植民を促すための誇大広告として緑豊かな地を連想、というかそのままな名称を付けたのだろう。その結果、大西洋を越えてアメリカにまで木材を刈りに行ったのである。

ヴァイキング船博物館の近くには『フラム号博物館』という博物館もある。

探検家フリチョフ・ナンセンの指揮の下、北極海の海流研究を行っていた船である。この海流研究はなかなか命がけのものであったそうだ。なんと、北極海の海氷に閉じ込められたまま3年間も漂流するというものだ。遭難なのか探検なのかわからないが、これにより風走流理論なるものが確立されたというから立派なものである。そんな偉大なる先人が偉業をなした船そのものが展示されている。内部に入ることもでき、北極圏で3年を過ごした雄姿を拝むことができる。

オスロ防衛のために建てられたアーケシュフース城。高台にそびえるこの城からは、オスロ・フィヨルドや市内を見渡すこともできる。

このアーケシュフース城は現在もノルウェー軍が管理しており、軍事博物館などもあるのだが、この日はすでに閉館時間となっており、残念ながら入ることはできなかった。城そのものは午後9時まで一般公開されている。

ノルウェー国教の主要教会であるオスロ大聖堂。西欧の”大聖堂”をいくつか見ていると、随分と控えめな佇まいであり、内装でもある。厳しい環境の中で発展してきた北欧の歴史がしのばれる。

ノルウェー王国
オスロ
訪問時期:2015年8月

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