僕が歩いた街 ― リヨン 前編

旅行記

美食の街、リヨン。
フランス南東部に位置し、都市圏としてはパリに次ぐ規模を誇る都市だ。作家サン=テグジュペリが伯爵子息として生まれた街としても知られている。市内には彼の銅像があるほか、空港の名前にもなっている。パリからはその名の通り、パリ・リヨン駅から高速鉄道に乗れば2時間程度で到着する。

パリからの高速鉄道が発着するリヨン パールデュー駅

リヨンの歴史は古く、紀元前43年にローマが植民地ルグドゥヌムとして建設したことに始まる。以降、植民市ルグドゥヌムは皇帝属州・ガリア・ルグドゥシンシスの中心都市として栄えた。14世紀にフランス王国に併合されてからは、絹織物の産地・交易拠点として発展してきた。明治維新によって近代国家への道を歩み始めた我が国も先進技術導入のためにリヨンの技術者を招聘し、富岡製糸場を建設、絹産業の技術革新の鏑矢とした。

世界遺産にも登録されているリヨン旧市街には、絹織物産業で栄えた名残が残っている。トラブールだ。並行する2つの道をつなぐ、建物の中の通路である。雨天でも絹織物を運搬できるようにするため、あるいはデザインを盗み見られないように運ぶために使われたといわれており、リヨン各所に現存している。第二次世界大戦中に、ドイツ軍に対するレジスタンス活動にも使われたいた。

リヨンは光の街でもあり、映画の街でもある。毎年12月には「光の祭典」と呼ばれる、イルミネーションやライトアップで街中を彩るイベントが開催されており、国内外から多くの観光客が訪れている。この催しの起源は12世紀にあるらしい。

さらに、フランスを代表する発明家、リュミエール兄弟が没した地でもある。シネマトグラフ・リュミエールの開発者であり、エジソンの開発したキネトスコープを改良してスクリーンに投影することで、一度に多くの人々が鑑賞できるようにした。まさに映画の父である。リュミエールという姓はフランス語で「光」を意味しており、偶然ではあるが、それだけに彼らの運命性を感じずにはいられない。

市内にはリュミエール兄弟に因み、映画に関する施設が存在するが、旧市街にあるミニチュア・シネマ博物館はエンタメ性の強い、楽しい博物館である。ハリウッドの有名作をはじめ様々な映画で使われた実際の小道具を中心に展示しており、映画好きなら訪れて損はない。

リヨンはフランス国内でも食の水準が高いことでも知られている。フィレンツェの名家メディチ家からマリー・ド・メディシスがフランス国王アンリ4世に嫁いだ地が、ここリヨンであった。その頃、フランスはローマから遠く離れた欧州の辺境。今でこそ世界の食ヒエラルキーの頂点に君臨するかのように振る舞うフランス料理だが、当時は完全に田舎料理でしかなかった。そこに文化先進国イタリアの、それもルネサンス発祥の地ともなった流行の最先端、フィレンツェから妃を迎えたのである。
手づかみではなく ナイフとフォークを使って食事をするようになったのも、このイタリア先進文明を取り入れた結果であった。

フランス革命による民主化、ナポレオンによる欧州征服、印象派絵画の誕生等、フランスの歴史はじつに華やかであり、欧州の中心であり、彼らの言葉は、英語にその立場をとってかわられるまで、世界言語として強大な存在感を放っていた。今でもルイ・ヴィトンやエルメスなど世界中で愛されるブランドを多く有している。

というのは、フランスという国の歴史のごく一部に過ぎない。カトリーヌ・ド・メディシスの例だけではなく、かのレオナルド・ダ・ヴィンチもフランス国王フランソワ1世に招かれ、フランスで客死した。歴史の大部分においてフランスは欧州の辺境であり、文化の中心地たるイタリアに強い憧憬を抱き続けてきたのだろう。

歴史地区にあるサン・ジャン大聖堂
1600年、フランス国王アンリ4世とマリー・ド・メディシスが結婚式を挙げたとされている

フランス第二位の都市圏人口を抱えるとはいえ、日本人の感覚からすればリヨンは決して大きな街ではない。旧市街は歴史の香りが色濃く残る一方で、地区によっては近代的な建築物も顔を見せる。もちろん地下鉄や路線バスもあるが、徒歩でも各名所を見て回ることができる。

リヨン旧市街

リヨンの名物に「壁画」がある。壁画の多さは欧州、世界でもトップクラスとか。リヨンの壁画は主にだまし絵であり、 Cité de la créationという集団が手掛けている。

例えば、 絹織物産業が栄えたクロワルース地区には欧州最大規模の壁画がある。1987年に描かれた後、何度も時代を反映するよう描き換えられてきた壁画だ。

食通に愛される街、リヨンの中央市場の前にも大きな壁画が描かれている。市場の名前にも冠され、リヨンを世界的な美食の街たらしめた存在、ポール・ボキューズ。2018年1月20日に逝去した巨匠は、今もリヨンの街を見守っている。

つづく

フランス共和国
リヨン
訪問時期:2017年9月

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