ヴェネツィア⑧ 共和国の面影

旅行記

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2017年12月29日

ヴェネツィアに到着して一晩。この日から本格的に水の都を散策します。

リド島からヴァポレットで本島に移動

国の内外を問わず、どこかを訪れるときにはその場所の歴史を知っているとより重層的に見ることができます。もちろん、ただその風景を見て自らの直感に任せて美しさを堪能する楽しみもありますが、ことヴェネツィアに関してはその歴史的背景を少しでも知っていると面白さは何倍にも増すでしょう。

ヴェネツィアの歴史はヴェネツィア共和国の歴史と言えます。西暦840年に自治が認められてから、1797年にナポレオン・ボナパルトによって滅ばされるまでの約1000年、歴史上もっとも長く存在した共和国です。

共和国の元首はドージェと呼ばれました。総督等と訳されることもあります。ドージェは貴族による選挙によって選出された終身制の元首です。貴族によって選出された新ドージェは、正式に就任する前にヴェネツィア市民によって承認される必要がありました。それは極めて形式的な営みではありましたが、共和国としての名分を維持するには必要不可欠な手続きでもあったのです。

ドージェは万能な独裁者ではありませんでした。彼には多くの制約が課され、独断で政務を遂行することは許されませんでした。国政はいくつかの委員会によって運営されてきたのです。

そのドージェの邸宅であり、政庁であったのがサン・マルコ寺院に隣接するドゥカーレ宮殿です。今日ではヴェネツィア市民美術館財団が運営する美術館として公開されています。

サン・マルコの鐘楼(左)とドゥカーレ宮殿(右)

ヴァカンスシーズンでは入場列が伸びるそうですが、年末の朝一ということもあり、すんなりと入場できました。

ドゥカーレ宮殿はまず8世紀に建造され、12~16世紀に今日残る姿に改修されました。

宮殿は中庭を囲むように作られています。この中には井戸が二つ。雨水を敷石から地中に浸み込ませ、濾過した水をくみ上げられる仕組みになっています。海水の上にある都では、このようにして飲み水を確保していました。

西洋と東洋を結ぶ地中海貿易の中心地、その莫大な利益で繁栄した共和国の政庁です。政治の場であると同時に外交の場でもあったドゥカーレ宮殿は、その力を見せつけるかのように煌びやかな装飾が各所に施されています。

一番広い部屋は大評議会(最高議会)の間。ヴェネツィアの全貴族による議会を行うための広間です。柱が一本もない部屋としては、欧州最大規模の広さを誇り、最大2000人を収容することが可能だそうです。それは議会と呼ぶにはあまりにも規模が大きく、しばしば形式的なものになったであろうことは想像に難くありません。

大評議会の間

ドゥカーレ宮殿と小運河を挟んだ対岸には牢獄があり、これも現在では立派な観光資源となっています。

ドゥカーレ宮殿で裁かれた罪人は、小運河の上にかかる橋を渡り、この窓のない牢獄に収監されました。その橋の窓から見る「最後の景色」に多くの咎人がため息を漏らしたことから、「ため息橋」と呼ばれています。

ため息橋外観

在りし日の共和国の繁栄と、罪を犯した人の絶望。ドゥカーレ宮殿を見て回るには、なかなか気力と体力を必要とします。

つづく

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