《雑記》ANAのA380導入を考える ①A380とは

雑記

 ANAは5月24日、成田‐ホノルル線に総2階建ての巨大旅客機A380を就航させます。当初は1機のみの運用で週3往復ですが、7月1日以降は2号機を投入することで週10往復に拡大する予定です。
シンガポール航空が世界で初めてA380の商業運航を始めたのが2007年10月。それから10年以上が経ちます。A380はいくつかのエアラインが導入しましたが、うまく運航できているのはエミレーツ航空くらいで、多くの会社が持て余しているというのが現状ではないでしょうか。

 なぜANAは今更、A380を導入するのか。そしてなぜホノルル路線に投入するのか。さらにはANA A380就航でハワイ路線がどうなってしまうのか。少し考えてみたいと思います。

①A380とは
②なぜANAはA380を導入するに至ったのか
③ANAはA380をどのように活用しようとしているのか

という3部構成で考えていきたいと思います。まずは超大型旅客機A380がどのように登場し、そしてどのような道を歩んできたのかを見てみます。

大量輸送時代の幕開け~大きいことはいいことだ~

 1968年、山本直純が「大きいことはいいことだ」と歌い、日本は高度成長とともに大量消費社会への道を突き進んでいきました。時をほぼ同じくして、1970年1月、米国ボーイング社がボーイング747型機をリリースしました。B747最初の就航路線はパン・アメリカン航空によるニューヨーク‐ロンドン線でした。大量輸送社会の幕開けです。

KLMオランダ航空のB747

 B747の登場により、それまで高嶺の花だった空の移動は広く庶民の手が届くようになりました。世界中の航空会社がB747シリーズを導入し、世界中の都市を結ぶネットワークを構築していきました。中には、極めて短距離にもかかわらずB747を1日に数往復させるような、無茶な運用をしていた島国もあったようです。

 ジャンボジェットという愛称をつけられたB747は発売以来、様々な派生型を生み出しながら、世界の空に君臨してきました。まさに旅客機の代名詞のような存在で、飛行機と聞いてあの独特のシルエットを思い浮かべる人は少なくないのではないでしょうか。ローンチから28年後、日本航空は100機目のB747を受領しました。JALは世界一のB747カスタマーとして、世界を代表するメガキャリアとなったのです。そしてこれが、後の経営危機の遠因にもなりました。

 ボーイングのライバルである欧州のエアバス・インダストリー(現エアバス)は、このB747が跋扈する空の情勢を変えようと試みました。エアバスは元々、アメリカ企業の独占的な航空機市場を変えるために、仏独2か国の共同出資で設立された会社です。なんとしてもB747に勝てる大型旅客機を作りたい。エアバスはこの野望を実現するため、80年代にあるプロジェクトとをスタートさせます。UHCA(ウルトラ・ハイ・キャパシティ・エアクラフト)構想です。1994年にはUHCAをA3XXとして、計画に着手したことを発表します。

 無論、このプロジェクトにボーイングは反応しました。ボーイングはB747の新型機の開発に着手したほか、エアバスのUHCAへの対抗策として中型の超高速機ソニック・クルーザーの開発を発表します。(のちに中止)

 A3XXは2000年、62機の受注を獲得したことからA380として開発に入ります。当初の予定では2006年後半に、最初の機体をシンガポール航空に納入することになっていました。しかし、過去に例を見ない超大型機の開発は難航し、スケジュールは再三修正され、2007年10月にシンガポール航空に最初の機体が引き渡されました。UHCA構想が登場してから、じつに16年の時が経っていました。

エミレーツ航空のA380

 16年の間に、世界の航空事情は大きく変わってしまっていました。エアバスにとってこれは誤算だったに違いありません。覇者ボーイングはA380に対抗するため、中型の超高速機ソニック・クルーザーの開発を発表し、後に中止となりましたが、これはまさに市場を見る目がエアバスの一歩先を行っていたと言えるでしょう。

Hub & SpokeとPoint to Point

 両者の思想はHub & SpokeとPoint to Pointという、まったく違うものになっていました。エアバスがA380によって実現したかったのは、Hub & Spokeによる路線展開をする航空会社への売り込みです。一方、ボーイングはB747で築いたHub & Spokeの考え方から、Pint to Pointへの移行を予見していたのです。

 Hub & Spokeとは、大型機で大都市間の空港(ハブ空港)を移動し、そこから各都市に乗り継ぐという考え方です。例えば東京(ハブ)からロサンゼルス(ハブ)までを大型機(A380)で結び、そこからサンフランシスコやラスベガスといった米国西海岸各都市に中小型機で移動するというものです。

 一方、ボーイングが採用したPoint to Pointは大都市間に限らず、中規模都市間も直接結んでしまうという考え方です。例えば東京からラスベガス、サンフランシスコから大阪といったように、乗り継ぐことなく長距離移動を実現してしまうというものです。

 ボーイングは2002年、このPoint to Point実現のために長距離飛行が可能な中型機、B787の開発に乗り出しました。基本型であるB787-8の航続距離は8500マイル、これまで大型機でしか飛ぶことのできなかった東京からニューヨークのノンストップフライトも、中型機で可能になりました。

カタール航空のA787

 B787の登場により、これまで収益性の観点から就航不可能だった路線が開設され、世界の航空業界は新たな時代に突入したと言ってもいいでしょう。

 これに対して、エアバスがA380で実現しようとしたHub & Spokeは前時代的な思想と言わざるを得ません。世界中の注目を集めたA380はその後販売を伸ばせずに苦戦しています。それだけではなく、一部のエアラインはすでに手放すことを決めています。

ANA ~B787のローンチカスタマー~

A380の模型(フランス・トゥールーズのエアバス本社に隣接する航空博物館 アエロスコピアで撮影)

 日本においてエアバスは当初、B747を大量保有していたJALやANAに対して積極的な営業を展開してきました。デモフライトで羽田に飛行した際には、エアバスの意向で新千歳空港への適合テストも実施されています。羽田‐新千歳は当時、世界で最も利用客数の多い路線でした。 Hub & Spokeという思想のもと生み出されたA380ですが、それまでのB747同様、国内の主要幹線でも利用可能であることをエアバスは日本の航空会社に示したのです。

 ところが、JALもANAもA380導入には慎重な姿勢を貫きました。とくにJALは、すでに経営状況が悪化していたこともあり、高価な超大型機を導入する余裕はありませんでした。一方、ANAは一時期、B747の新型機B747-8とともに導入を検討していた時期がありましたが、2008年のサブプライムローン問題に端を発する世界的な景気減速を受け、大型機の導入計画を凍結します。事実上のA380買わないよ宣言でした。

 ANAは超大型機の導入は見送りましたが、ボーイングが掲げるPoint to Pointを実現するための中型機、B787の導入には踏み切ります。それも、世界で初の発注となるローンチカスタマーとして、その設計にも深くかかわっていきます。 ANAは04年にB787を50機発注、開発の遅れで当初計画から遅れたものの2011年にボーイングから初号機を受け取りました。同年10月26日には成田‐香港戦で世界初のB787商業運航を行っています。

 その後もANAはB787の導入を続けると同時に、羽田空港再国際化、その後の拡張に伴う発着枠の拡大を契機に、国際線路線を大幅に強化していきます。経営が行き詰ったJALの旅客輸送量を抜き、日本一の航空会社にまで成長しました。2010年以降のANAの成長を支えたものは、間違いなくB787でした。

 ところが2016年1月末 、そのANAが一度は導入検討を凍結するとしたA380を導入すると発表しました。すでに世界中の航空会社で持て余していた超大型旅客機を、B787のローンチカスタマーでもあるANAがなぜ導入することになったのでしょうか。

つづく

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